プロフィール

プロフィール 新谷真生(シンタニマサオ)氣幸家

新谷真生(シンタニマサオ)氣幸家

氣幸家とは

  • 治療家
  • 鍼灸師(国家資格保有)
  • セルフケアマスター
  • 医療コンシェルジェ
  • 気功師
  • 武道家
  • ファースティングマスター
  • カウンセラー
  • コーチ
  • 思想家

を統合した肩書きです。

1963年(昭和38年)石川県に生まれる

現在は東洋医学西洋の心理療法精神世界あらゆる療法を集大成し、偏らない地に足をつけた療法、ホリスティック氣幸を行っています。そして健康はもとより仕事、人間関係、才能、美すべてが良くなり、なぜか叶う人生になっていく講座を開催中

将来の夢は体育の先生になるとこたえる

幼稚園のとき、母の姉に将来「何になりたいの」と聞かれ、無邪気に「体育の先生」とこたえたことを鮮明に覚えています。

体を動かすことが大好きだった幼少期。

今、肩書きは違いますが気功、ヨガ、体操、セルフヒーリング、考え方を講座等で教えています。

そう、叶っているのです。 

そこにいたるプロセスにおいては、いろいろありました。

7歳のとき、父が蒸発した小学生時代

父はほとんど家に帰らずの人でした。父の記憶も4つしかありませんが、 一緒にいると非常に緊張していました。

7歳(小1)のとき、父が蒸発。残された家族は、祖父、祖母、母、姉、そして私。 

家族間では重々しくエネルギーで一杯!

祖父はアル中、その後、脳梗塞で寝たきり、ガンで死亡(小4)

お決まりのごとく嫁、姑のけんかが絶え間なく続き、いつも布団の中で耳をふさぎ、悲しみに絶えていました。 

やめてくれないので家のガラスやふすまを壊し、けんかはやむ日々。

幼稚園まで元気だったが、頭痛、めまい、不眠、高熱、喘息、 乗り物酔い、夜には寝込む生活でした。

父を許せなかった母*は、自分(真生)を父に投影して八つ当たりをしていたと思います。
(*母は人のお世話をするのが大好きな人でもあります)

テストでいい点を取っても「誰でもその点を取ったんだろう」「なぜ、お前はそんなに頭が悪いんだ」「なぜそんなに顔が悪いんだ」と面と向かって云われていました。

子どもは誰では母親から愛されたい、褒めてもらいたいですよね。

そのため健康的自己愛、自己肯定感が持てず、ものの見方や考え方、行動も超マイナス。

父が家族を見捨てていったことで、母には怒り、奥に深い悲しみの想い(波動)があり、それが伝わり頭痛、喘息の発作に出ていました。(当時はわからず)

あと、女性だけだったので家は貧乏でした。(貧乏という認識はありませんでした)

履いていくズボンが乾いていなくてストーブで乾かしていた記憶があります。 

お風呂もなく、たらいの中でお湯を温め入っていました (中学生のとき、風呂ができる。うれしかったなぁ) 

おまけに勉強はできなくてあだ名が「じんばか」とよばれていました。

おにぎりを食べると必ず水分が必要でした。なぜかと云うと喉の部分が常につまっており、水を含まないと喉を通過しなかったため。

いつも呼吸が浅く、安心できない、交感神経緊張状態(無意識)

小学校入学当時、背丈は1番高かったが、卒業時は前から数えた方が速くなっていました。(心と体の栄養面がいかに大切か、今は身長180㎝)

赤面症、自己嫌悪、劣等感の塊だった中学生時代

母は、生計を立てるためにそれまで働いていた洋裁店(とてもお給料が低かったらしい)をやめ、栄養士の資格を取り、保育園で調理師として働くようになりました。

母も自我が未熟でここでやっと自信となり得るものを。

栄養学の知識を得るようになり、それからビタミン剤を中学時代から飲むようになりました(ビタミンC,E,カルシュウム剤、プロテイン、ライスビネガー等)

 今はまったく飲んでいません。

牛乳の飲み過ぎによる皮膚疾患、ニキビが出だす。

クラブ活動は陸上の短距離を中心に行なっていました。顧問は名ばかりで練習に来なかったので自分たちで行っていました。(ほとんどあそび状態)

生きているのかわからない充実感のない人生。(俺、これからどうなるのだろうと悶々とした日々でした)

極度の人見知り、赤面症、自己嫌悪、劣等感の塊。

真剣に生きないと後悔することを学ぶ。

真剣にやろうと決意した高校時代

中学生時代までは勉強もクラブ活動(陸上部)も中途半端で情熱を持てるものがなかったので、高校ではせめて一つだけでも「一生懸命にやろう」と決意しました。

そんな私が内側から湧いてきた想いがあります。

「私は私の人生を歩みます」と。すると、それを境に少しづつ、人生が好転しだす。

部活の顧問の先生は、過去に日本選手権陸上競技400mで優勝している方でした。

中学生時代、まともに練習をやっていなかった自分においては、当初、非常にハードでした。あまりの過酷さで入部1ヶ月で足の甲が痛くなり、歩行困難に。

2週間ほど休部。

そのとき、クラブの顧問、クラブ仲間は「やめるだろう」とあとから聞きました。

何とか一年のつらい期間を乗り越え、徐々に成果が出てきました。

歴史の浅い高校でしたが、部活に入り、はじめて陸上競技でインターハイ200mに出場。(中学生のとき、なんの実績も無い自分が、目標を立てても意識がそうは想えないと思います)

インターハイ(神奈川県)出場のため、はじめて飛行機に搭乗、CAさんのきれいさにビックリ。東京、品川プリンスホテルが宿でしたが、電車の移動のとき、初回、自動改札に入れず。田舎は切符を切っていた時代。

全国高校選手権大会 神奈川光沢競技場 すごい力んでいます!

「やってみせ、言って聞かせ、やらせてみて、めてやらねば人はうごかじ」(元帥海軍司令官 山本五十六談)

今思うと当時、人を育てるときの要諦ようていを実践から肌身で教わっていました。

しかし体の使いかた、未熟な自我から心身をコントロールすることができませんでした。

17歳から坐骨神経痛3年、腰痛、肉ばなれも数しれず。

HSP*体質だったので歩いていても体のいたるところ が痛くなり、 歩行困難になっていました。

*HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。

努力する大切さ、忍耐、継続こそ、力になると学んだ高校時代。

当時の担任の言葉。

「努力しても勝つとは限らないが、勝つものは必ず努力している」

幼稚園からの夢を実現するための大学時代 

幼稚園からの夢を実現させるために奈良県にある天理大学体育学部へ入学。(東京の大学も合格していました)

陸上競技部に入る。

高校時代の坐骨神経痛もよくならずの状態。

大学に入ると日本選手権優勝者、国体優勝者、オリンピック出場者 インターハイ優勝者、日本記録保持者、そんな人たちがゴロゴロ。 

当然、影響は受けますよね。

ものの見方、考え方、行動、すさまじき努力。

もう気がビンビンの世界でした。

日本選手権1600mリレー 足が後ろに流れています

ただ練習のやり過ぎ、気狂きちがいのように練習、オーバーワークでした。

20歳のとき、慢性腰痛のため腰のレントゲンを撮ったとき、ドクターに「これは40歳の人の腰ですね」と云われ、大ショック。

型を取りコルセットを作る。

「いまは使っていません」というより当の昔にコルセットとは、おさらば、捨てました。

極度の冷え性。(20歳のころ、冬寒くて服を5枚着ていても寒かった。男性で一番元気のあるころですけど)

超緊張タイプ、交感神経がハイの体質は変わらず。

21歳のとき、左膝痛半年「この注射は強いからあまり打たない方がいいよ」と云われましたが、何本も打ちました。痛みが取れなかったから。(足の長さを整えるために足底板を作り装着)

同級生にはソウルオリンピック、走り幅跳び代表、柴田博之君(京都洛南高等学校陸上部監督、100m元日本記録保持者、桐生祥秀さんを指導)がいました。

毎年恒例の宮崎合宿 この中に日本チャンピオン4名います。真中中央(赤いジャージ)が私、左横、柴田博之君

環境、仲間、上には上がいる、切磋琢磨せっさたくますることを学んだ大学時代でした。

教員採用試験のため帰郷(石川県)

大学を卒業。

23歳のとき、体が動かなくなり一日15時間は寝る生活が半年間(うつ病)

教員採用試験に落ちました。(当時石川県での国体が間近に迫っており、大量に体育の教員を採用し枠がありませんでした。時代、時期でどうしようもないこともあります)

幼稚園からの夢(17年間)が破れ、体育の先生になれず。

そのときのショックで身体が動かなくなり半年間、寝込む。病院の検査を受けるがわからず(当時は心の面だとわからず)

母からは、「何で働かないんだ」と。

徐々に回復し、水泳のインストラクターのアルバイトを始める。

しかし外見は筋肉があり健康そうに見えていたが、中見は相変わらず、身体の不調、寝違い、腰痛、背中の張りと悩まされて接骨院通い。(心の器が育っておらず)

そこの先生から「治療師の道もあるよ」といわれ、「そうだ、スポーツトレーナーになろう」と決意。

早速、全国の鍼灸柔整専門学校のパンフを集め、仙台の赤門鍼灸柔整専門学校あかもんしんきゅうじゅうせいせんもんがっこうに絞る。(当時、日本で一番授業料が安かった)

それでお金を貯め、受験の準備(一年間アルバイト、2年目正社員、スポーツクラブ)

24歳、夜間の鍼灸学校(仙台)へ

宮城県仙台市の赤門鍼灸柔整専門学校、夜間部、鍼灸学科に入学。

右も左もわからず、知っている人、親戚もいなかったので生活のため朝、市場のアルバイト、サウナのアルバイトで食いつないでいました。

そんなとき、専門学校の先輩が病院をやめ、鍼灸院を開院のため、後任を探していました。

それで声をかけて頂いて病院に勤めることができました。

給料をもらいながら現場で臨床を積む(3年半勤務)

毎日のように人の生き死にを垣間見る。

年に一度、忘年会の一コマ
普段は真面目に働いていました

内向型ですが、外では明るいふりはできました。

鍼灸学校の先生が仙台育英高校陸上部のOB、その縁で無報酬で仙台育英高校のコーチ兼トレーナーをさせて頂きました(2年させて頂いて2年連続優勝、十何年かぶりに京都の全国駅伝に復活)

トレーニングメニュー(短距離)を1人で全部考え、人としての在り方、考え方を訓示、兼トレーナーとして治療も行っていました。

スカウトをしにきた当時SB食品、瀬古俊彦監督(現在、日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー。生徒の1人はSB食品入社

右端、下から2番目にいます。合宿で記念撮影



仙台育英高校の朝練、病院に行く前には新聞配達をしていました。ポストに新聞を入れるとき一軒、一軒に祈りながら「幸せになりますように」と投函とうかんしていました。

自我がか細かったが少しづつ利他の精神が育っていく。

個人では私設の漢方塾にも通っていました。

このときの仲間がWHO(世界保健機関)の伝統医学の基準を定めようとしている会議でアドバイザーを務めているドクター、関隆先生や伊豆やすらぎの里、代表 大沢剛先生など、多彩な人たちがおられました。(塾では真より2年後輩)

関 隆先生
やすらぎの里 代表大沢 剛先生

仙台から奈良県へ行くとき、お試しがありました。新聞配達、集金も真面目に行っていたため、店のオーナーからお店を継いでくれないかとオファが。「売上は1億円あるから」と。

29歳、日本を代表する鍼の先生の内弟子(奈良)に

鍼はとても難しい。

仙台時代に「素晴らしい」と思っていた奈良の鍼灸の先生の著作を読み、治療を受け、その場で内弟子入りを志願(著作は何冊も出されています)

最初、お給料は5万円だと言われました。(当時29歳、皆さん仙台の新聞店で1億円のオファを受け、かたや5万円、どちらを選びますか)

仙台から大学時代過ごした奈良へ。まさか、また奈良県へ行くとは思ってもいませんでした。人生何が起こるかわかりませんね。

毎日、100人以上の患者さん、政界、財界、芸能界をはじめ、病院では治らない人たちが全国からやってきていました(ほとんどが鍼、一箇所の治療の世界)

全国から研修生が来られていましたが、あまりの凄まじさに見学でフラフラになる人が続出(氣を動かすので)、それでもその環境で食らいついていき、

一に勉強、二に臨床、三、四がなくてまた勉強の日々。

先生は毎日、乗馬をされていました。先生が乗馬する時間には、雨がやみました(乗馬しないと身体がもたない、見えない世界から応援?)

先生曰く、「俺が乗馬するときには雨はやむから」と。

「はぁ、なに云っているのか」と思いましたが、3年間に雨がやまなかったことは2回。上(神さま)に聞いていて「今日は行かなくていい」と。

師匠は北辰会という鍼灸の団体の代表でした。研修会では、全国から集まってきた鍼灸の先生方に真も講師として教えていました。

研修会で教えているところ
全国から集まった先生方と記念撮影

休みの日は、師匠のお父さん、お母さんと一緒に住んでいたので車でドライブ(運転手) 一体、いつ休んでいるんだ!(このおじいちゃんこそ、鍼灸界の神さま的存在でした。

鍼灸師の先生方は緊張してしゃべれず、真は仙台から行ってイメージがなかったため、師匠のお父さんとして接していました、あとでとんでもない人と知る)

3年間の内弟子生活を修了。

そのまま関西でいたら生活、地位も安泰でしたが。

内弟子の中でもなぜか1人、住居を用意して頂いた。

仙台から奈良へ来るときの選択、欲ではなく、命に正直に動くことと見えない氣の世界を学びました。

31歳、勉強のため東京

まだまだ勉強をしたかったので学ぶのであれば「東京だ」と考え花の都へ。(と称してただのミーハーでは)

四谷にある接骨院附属の治療室に勤める。面接時に交渉して住居を用意して頂く(敷金、礼金、家賃全額支給)

北辰会代表、藤本蓮風ふじもとれんぷう先生の内弟子、講師というネームバリューは効果は絶大でした。(狭い世界の話)

勿論、その場での腕試し、実技を披露。オーナーの異常をその場で診断、治療。オーナーがびっくり!(オーナーは、7店舗を経営し、その道30年のベテランで実力もピカイチ)

接骨院だったので骨折、打撲、捻挫とそれまで違う臨床経験を積めました。

東京に出てきて勤め先の治療所が過去最高の売り上げ(2年間勤務)

NHKでは紅白歌合戦の総合司会を務められた人のドラマ、2月、山梨県の山中で番組収録、鍼を刺すお手伝いをしたとき、深夜3:00に鍋でご飯。「さむー」朝6:00に帰りフラフラ。身体によろしくない業界です。

ただ私だけ待遇面が良かったので、同僚からはいじめを受けていました。(生意気だったこともあります。大いに反省)

33歳、心の声に従い、市ヶ谷で開業

自分の理想を遂げるために市ヶ谷で開業。

物件を借りるとき、患者さんが保証人になってくれました(説明後、間をおかず、「わかりました」と)

「あの物件いいですね」と不動産屋さんとお話をしたら「あの物件はいいからなかなか空きませんよ」と云われましたが、 2週間後、電話で「空きました」と連絡がくる。入居できました。

マンションの中で営業したのですが、患者さんがホームページを無料で作ってくれました。(その当時はホームページも今ほどなく、いつのまにかヤフーさんにも登録されていました)

お金も税理士さんが来ていたのですが、借り方等は全部教えていただきました。(お願いすれば、お金を無利子で貸してくれそうな人達もいましたが)

気づいたら、作為はしないで叶う人生になっていました。(無為自然の道といいましょうか)

刺さない鍼、それも一箇所のみの治療をしていました。

ある程度、自信をもっていました(ここでも傲慢、天狗状態)が、治らない患者さんがいらっしゃるので勉強はやめられず、セミナー、ワークショップに休みの日は行きまくりでした。

日韓ワールドカップサッカー、対戦国の大使が「夜、眠れない」とお越しになったとき、治療中、「爆睡」

故宮下富美夫セミナー ヒーリングミュージックの第一人者
最後は生まれ変わりのワーク

40歳からスピリチュアル系の学び

アメリカ、カリフォルニア州、シャスタ山に渡米、13回。アリゾナ州、セドナへは4回、オーストラリア、バイロンベイなど学びがつづく。

水泳のインストラクターがイルカのツアーで溺れる

カリブ海、バハマのイルカと泳ぐツアで溺れる。そのとき、呼吸ができず体が沈んでいき、「今回の人生は終わった」と諦めかけたとき、二頭のイルカが、真の周りに駆けつけ旋回しだす。離れていたツアーの仲間がイルカを追っている中で溺れている真に気づき、急死に一生をえる。

身を持ってゆだねる、あきらめることを学びました。(できれば二度と体験したくない)

48歳、渋谷に移転

自分を超えた天地人の軸を立てています。幼稚園時代、体育の先生が夢でしたが、今は体を超えた真体(くう、タオ)の先生になっています。真体次元を持って建物、土地を浄化したり、家族、家系の深い闇に入ると大きな変容が起こります。会社や個人の運勢、運命が変わります。

家族間で裁判、訴訟になっている方々より要請を受けヒーリングも行っております。5年間、進まなかった案件が半年で終了したり、相続争いの件など体を超えた事例も多数。

54歳、2017年太極拳全国交流大会、太極拳、気功の部、団体優勝のメンバーの一人。

太極拳は日本を代表する出口衆太郎氏に師事。現在は離れています。

仙道を極めた真士に秘伝の養生法を伝授される

真士は90歳を超えても足腰もしっかり、内臓の状態もよく、頭もハッキリ、家族仲良く、お元気。

夏の炎天下、中腰(田植えをイメージ)になり5時間、水を摂らずの身体性。

そして眼鏡も必要なく新聞を読まれ歯も耳も健康。

眼、耳は毛細血管の塊、集まっているところです。

つまり血流の流れ、気血が全身に巡っているので老化が著しく遅い。(50年遅れています、一体どういうこと!)

生きがい、やりがいのあることを行い、社会から用いられ、お金にも不自由することなく信頼、尊敬を集めています。

誰から教えを受けるかは非常に大切。

ご縁に感謝です。

数々の挫折、経験から気づいたこと

すべて実践そして体験を皆さまにお伝えしております。

小学1年生から6年生まで一日も欠かさず仏壇の前で背筋を伸ばし正坐をし、合掌、祈りをささげて学校に行っていた日々 (なぜかわかりませんが、強要されてもいません。ホリスティック氣幸の原点50年続けています)

今の自分を感じつくすこと、瞑想、祈りに活かされています。

祖母や母の肩もみから始まって中学から大学、社会人になるまでマッサージがうまいということで行っていた20年。

プロセラピストとなり31年。合計51年が経っていました。

不思議とわかるのです。

身体だけではなく、いろいろなことが(普段は感覚を閉ざしていますから興味本位で相手の個人情報は読み取りませんが)

食事療法を研究中のときには、オーガニックのレストランを食べ歩いていました(今から35年前くらいですが、当時はそんなになかったですね)

食生活の大事からオーガニックレストランを経営(現在お友達に譲っています)

健康法、仏教、哲学もありとあらゆること、そして治療法も限りなく勉強しました。

私の人生はこころと身体、そして本質の追求。

そんな人生だと思います。

そして今も勉強、日々研鑽けんさん中。

これからの目標・夢

現在、オフィスでは、年齢は0歳から104歳 家族3代、4代と来院されている方々が多く、 いろいろな病気や悩み、苦しみ、迷いをお持ちになられてこられますが、全て過去のことが役にたっています。

家族仲良く、元気が一番!

自己効力感、自己肯定感、健康的自己愛がなく、自律神経の乱れ、痛み、冷え、HSP体質であっても良くなります。

無駄なことは何ひとつなく、 すべてつながっている。

今では、なぜかまわりの人たちも良くなっていきます。

叶う人生になっている。

今、いろいろなことで苦しまれている方、そしてもっとよりよく生きて生きたいと思っている方、みんな幸せになりたいと努力していますよね。

セッション、塾、セミナー等を通して皆様に伝えたいのです。

「大丈夫!すべてがよくなるよ」と。 

自分の悩み、苦しんだ経験を、そして良くなるために学んだことを皆さんと分かち合い、明るい未来、社会になることが私の願いであります。

最後になりますが、いろいろな人たち、家族、先生、自然界、あらゆるものに助けられ、許され、今の自分がいます。

すべてに感謝を奉げたいと思います。

「すべてにありがとう!」

豊かな人生にするためにカラダ、ココロ、アタマ、人間関係、お金の健康は自分、自分たちで守っていきませんか。

そのためのセルフヒーリング、ホリスティック氣幸

あなた自身の華を咲かせるのです。

追 記

24歳の時、父と再会。 末期ガンでした。痩せて骨と皮だけの状態。

横には蒸発してから一緒だった女性がいました。

そのときは、父とお互いに涙で別れました。

  一週間後、亡くなる。 不思議と父やその連れ合いの女性に怒りはありませんでした。

むしろ、その女性には感謝の気持ちが湧いてきていました(父に連れ添ってくれてありがとうと)

これは、母親の影響があるかもしれません。

父が蒸発してから母は、毎朝、聖書を読む生活を十何年続けていました。 

父のこと、愚痴、悪口を一切云いませんでした。

許せるまでに長い歳月がかかったようです。 

許せたとき、「光で包まれた」と云っていました。

そんな母に育てて頂いたからこそ、父に対してそして、その女性に対して 怒りや恨みがでなかったかもしれません。

喘息だったころ、夜中、母が起きてくれて背中をさすってくれていた。

母は見ず知らずの人たちのことを思い、人知れず祈り、お世話していました。

善の循環は、地域や時代を超えて伝わっていくものではないでしようか。

あなたの温かい、まなざしや行動が世界をよくしていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

略 歴

1986年(昭和61年)天理大学体育学部卒業、その間解剖、生理、心理学を学ぶ(中学、高校保健体育免許、体育学士

1991年(平成3年)3月赤門鍼灸柔整専門学校あかもんしんきゅうじゅうせいせんもんがっこう卒業鍼灸師(国家資格保有)

在学中に東洋哲学、東洋医学、易、漢方薬、人相、手相等の原理を小川晃に師事する。

1991年(平成3年)4月~病院、鍼灸院、接骨院に勤務

  • 病院では、脳神経内科で脳梗塞専門にリハビリを行う。その間毎日、人の生き死にを垣間見る
  • 鍼灸の大家、藤本蓮風、藤本和風両氏から内弟子とし薫陶くんとうをうける。
    毎日100名以上のあらゆる患者を観ることにより、直感で病気がわかるようになる。
  • 接骨院では骨折、脱臼、捻挫等外傷の疾患を受け持つ。

中国医学、漢方薬、東洋哲学、道教、えき瞑想めいそう、ヨガ、気功、ぜん内観ないかん断食だんじき唯識ゆいしき、仏教、マクロビオテック等の東洋医学系

催眠療法、解決志向ブリーフセラピー、NLP、フォーカシング、イメージワーク、人間性中心カウンセリグ、コーチング、トランスパーソナル等西洋の心理療法系

レイキ、マカバ瞑想、ライトボディーの覚醒化、透視、マインドフルネス、ライトワーカー、シータヒーリング、潜在意識等の精神世界系

太極拳、古武術、合気道、フェルデンクライス、アレキサンダーテクニックの武術運動系

横山式筋2点療法・川井式筋療法・骨盤療法・オステオパシー、クレニオセイクラル、筋診断法、タッチフォーヘルス、井本整体、野口整体、楽健法等の手技療法系

自律神経、脳波測定、エゴグラム等の科学的検査も行っています。(現在は行なっておりません)

アランコーエン、リズブルボー、ドランバロー、本田健、中西研二、 あまちゆうと、ソーニャソケット、ドーリンバーチュー その他多数のセミナー・ワークを修了。

氣幸瞑想歴50年、断食歴33年、コーチ指導歴34年、臨床歴32年(2022年)その間、幾多の人の生死を垣間見、約12万人の臨床経験を持つ。

プレアデス覚醒への道の著者、アモラクアンインより直接、教えを受ける。(アメリカ、カルフォルニア州シャスタ山へ渡米13回)

透視コース全課程終了、ライトワーカーコース全過程終了。ドルフィンブレイン・リパターニング全過程終了。

プチプライベート情報

ワンちゃん、赤ちゃん、子ども、花、銭湯好き、自然の中でぼっとしている、散歩、料理、洗濯、掃除等の家事が趣味。

読書好き、今まで読んだ書籍は一万冊以上、更新中。

お勧め書籍でご紹介しております。 こちら
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